夢追い人



A氏から次のようなメールが届いた。
> こんな人生送ってみたい。
> この人は死ぬ時に満足げに死ぬんでしょうね。
> http://biztech.nikkeibp.co.jp/wcs/leaf/CID/onair/biztech/biz/224590
さっそく記事を拝見して、私は真面目に自分の意見を返事した。(日記転載にあたり一部修正)

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自分の信念に基いてやっているかどうかでしょうが、こういう人たちは商売で儲けようという考えを持っていなくて、ある意味「職人」なんですね。

今の世の中「職人」が食っていける割合は非常に少なく、この記事に出てくる人たちは数少ない「食っていける職人」ですが、その人たちの「明」の部分にばかり注目されやすく、「暗」の部分を見過ごされやすい。

以前、「湾岸ミッドナイトの25巻はお勧め」って話したけどちょうど同じようなネタです。

「職人」も有名になれば「夢」を追いながら良い生活もできるでしょうが、そのような人は極僅か。ほとんどの職人が「夢」と「生活」の二者択一なのが現実です。

私にはこの記事のような人の真似はできません。全てを投げ捨てて一つのことに自分の人生を費やすなんてできない。衣食住遊、そして家族を犠牲にできますか。そのくらいの覚悟がいるのです。

「生活できる」という基盤があってこそ、「夢」を追えるのであって、生活もできないのに夢を追ってどうするのか。仮に無謀な夢を追っている人は、それなりに財産を持っているか、イザという時には助けてくる人たちがいるであろう。

夢見る我が子に対して、その親が「30歳までは好きにしてもいい。しかし、30歳までに見通しが立たなかったら諦めろ。」というシチュエーションをテレビ番組で度々見かけますが、その夢追い人は「夢破れて田舎に帰る」ができるわけです。30歳位までに目処が立てばそのまま突き進めば良いし、ダメなら方向転換をすれば良いし、ターニングポイントを見極めることが重要。
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再びA氏からのメールが届く
>「こんな人生送ってみたい。」と思っただけで出来るとも思っていません。
>思っているだけと言うよりもただ羨ましいだけかな。
>何が羨ましいって?
>「夢を追うことができる事」よりも「追う夢があること」かな。
「夢を追う」と「追う夢を持つ」非常に重要なキーワード。
これに対して私は返事を書く。

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「追う夢」があり、それを実践する人はほんの一握りだと思いますが、マスコミに取り上げられるのはその中でも成功した人(成功するかもしれない人)だけ。(たまに失敗例もやりますが)

「夢」を持つことは大切ですね。
しかし、現実的な話としては「夢」ではなく「目標」でしょう。「目標」だからそれに向かって進むことができる。

生きていくうちに、いつしか「目標」を見失ったりします。それは、外圧であったり、環境の変化(心境も含め)だったりしますが、無くなったら無くなったで新しい「目標」を探せば良いのでは?

「その筋のプロ」といわれる人たちは子供の頃から常に「目標」を持ち、その「目標」を一つ一つクリアしていき、「夢」に近づくわけです。

「夢」って叶わないから「夢」なんです。「夢」への過程に「目標」という階段がある。

「夢が叶った」というのは本来は間違った表現で、「一つの目標を達成した」というのが正しいと私は思います。

例.高校球児の「甲子園に行く」というのは「夢」じゃなく「目標」です。

よって
>この人は死ぬ時に満足げに死ぬんでしょうね。
というのは、どれだけ「夢」に近づけたかということだと思います。

私は、いつまでも「夢追い人」でありたい。
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追記

30歳を過ぎると「ある程度の生活を維持しつつ夢を追う」という難しい状況になるので、「夢」そのものを持たなくなる人が大多数でしょう。家庭を持つようになると次第に「夢」が「物」になってしまうわけで、分かりやすいところで「マイホームを持つ」といういかにも現実的な発想になってしまいがちです。

「マイホームを持つのが“夢”」ってなんか寂しく感じます。「当面の目標はマイホームを持つこと」って言って欲しい。

結局のところ仕事としての夢を持てないサラリーマンには、物に対して夢を抱くのでしょう。