10万円と100万円

私の友人に使う金の単位が一般庶民とは違う人がいる。彼は数万円の買い物をする時に、もの凄く悩んで悩んで悩んだ挙げ句、結局諦めてしまうのに、 100万円単位ならばそれほど悩まずにポンと使ってしまうのである。その行動にはいつも驚かされ、毎回私は「金の使い方がおかしい」とぼやいてしまう。周りの人々も私と同じ意見をもっている。当然のことである。数万円の買い物ができなくて、なんで100万円や数百万円の買い物ができるんだ。不思議だ。

彼の口癖が「生活が苦しいから数万円の買い物だって大変」である。だったら何で数百万円の買い物ができるんだと突っ込むと「100万円単位なら使えるんだ」と毎度同じ言葉が返ってくる。

その彼の不思議な金の使い方が理解できなくて既に10年以上経つのだが、あることがきっかけで最近なんとなく理解できた。

物欲をほどほどに抑えて、ようやく私の通帳の残高が100万円を超えた。このまま普通預金に入れておくとパラパラと小出しに使ってしまう可能性があるので定期にすることにしたのである。使うのは簡単だが、貯めるのは大変である。田舎のサラリーマンにとってコツコツ貯めた100万円は大金である。

私の100万円単位の買い物なんて「車」しかなく、何年後に車を買い換えるからそれまでにいくら貯めなければならないと計算して貯蓄するわけである。10万円だろうが100万円だろうが、全て私が稼いだ金であるので、10万円未満ならば数ヶ月の収入の範囲で調整が利くことから、“ものすごく悩む” こともなく買い物ができる。しかし、100万円となると短期間での調整は不可能だ。長期的な計画が必要である。よって私の場合は「10万円未満ならなんとかなるか」「100万円!とんでもない」である。しかし、例の友人は逆なのである。なぜなんだ。

私は通帳を見ながらふと気が付いた。彼が言うように彼にとっての数万円の買い物は彼の稼ぎから捻出しなければならないので、大変なのかもしれない。しかし、100万円単位でいくつも定期を持っている彼にとっては100万円だろうが何百万円だろうがいくつ定期を解約するかまたは満期を待つかというだけのことなのである。その定期の大多数が親から相続したものだとしたら、自分が苦労して稼いだ金でないとしたら、どうなのか。彼は意識していないと言っていたが心の底にはそれがあるのでは。

生活レベルは自分の稼ぎに比例すべきというのが私の信条であるが、彼にはそれが適用されないようだ。

「使うのは簡単、貯めるのは大変」そのことに彼は気が付く日がくるのであろうか。